宇佐見の日記

宇佐見のブログです 読んだ本のことや考えたことを書きます

おねショタが好き

性的な意味ではない。いや性的な意味でも好きなんだけど。
ペンギン・ハイウェイフリクリを立て続けにみて確信した。
俺、お姉さんが好きなんだ。
お姉さんにからかわれるのが好きなんだ。
自分のことを見透かしたような目で見られるのが好きなんだ。
なにもかもわかってるような感じで上から見られるのが好きなんだ。
そんでもってあたふたしてるところをかわいいなあなんて言われちゃうのが好きなんだ。
ちょっぴり背伸びした小学生の男の子になりたいんだ。
 
年齢を重ね、いまやそういうお姉さんと同じぐらいの年頃になって思う。
いや、ちょっとまってほしい。実はお姉さんになりたいのではないか?
純粋無垢な存在を己が魅力でもって魅了したいのではないか?
からかって、かわいいなあなんていってニヤニヤしたいのではないだろうか。
相手に夢中になってほしいのではないだろうか?
 
しかし、フリクリではハル子はアトムスクを追い求めてそのためにナオ太を利用しているだけだし、マミ実もナオ太をナオ太の兄タスクの代わりとして扱っているにすぎない。
そしてナオ太はそのことに自覚的である。自分がからかわれているだけっていうのをわかっている。
 
彼女たちが魅力的に映るのは自分(ナオ太)のことを表面的にしか見ていないからじゃないか。(ここでは僕はナオ太に感情移入している)
彼女たちがそれぞれの本命について考えたり、それに対して行動を起こしているときにこそ魅力が立ち現れるのではないか。
 
つまり、誰かを魅了したければ、自分自身は別のなにかに心奪われていなければならないんじゃないのか。
ただ、漫然と身体的(性的と言ってもいい、それは魅力を構成する大きなパーツではあるが。)な魅力のみで少年を魅了することは、なんといえばいいか、それ自体に魅力がない。エロ漫画ならそれでいいんだろうけど。そのためのものだし。
 
そして、ここから一般的によく言われるある文言が導かれることに気がついた。
「なにかに熱中している人間はそれだけで魅力的だ。」
 
つまり、モテたければ(誰かに自分を見てほしければ)なにかに心奪われ夢中になってないといけないってことだ。
今回の話の着地点はつまらないところに落ち着いた。別の着地点も模索したい。