宇佐見の日記

宇佐見のブログです 読んだ本のことや考えたことを書きます

おねショタが好き

性的な意味ではない。いや性的な意味でも好きなんだけど。
ペンギン・ハイウェイフリクリを立て続けにみて確信した。
俺、お姉さんが好きなんだ。
お姉さんにからかわれるのが好きなんだ。
自分のことを見透かしたような目で見られるのが好きなんだ。
なにもかもわかってるような感じで上から見られるのが好きなんだ。
そんでもってあたふたしてるところをかわいいなあなんて言われちゃうのが好きなんだ。
ちょっぴり背伸びした小学生の男の子になりたいんだ。
 
年齢を重ね、いまやそういうお姉さんと同じぐらいの年頃になって思う。
いや、ちょっとまってほしい。実はお姉さんになりたいのではないか?
純粋無垢な存在を己が魅力でもって魅了したいのではないか?
からかって、かわいいなあなんていってニヤニヤしたいのではないだろうか。
相手に夢中になってほしいのではないだろうか?
 
しかし、フリクリではハル子はアトムスクを追い求めてそのためにナオ太を利用しているだけだし、マミ実もナオ太をナオ太の兄タスクの代わりとして扱っているにすぎない。
そしてナオ太はそのことに自覚的である。自分がからかわれているだけっていうのをわかっている。
 
彼女たちが魅力的に映るのは自分(ナオ太)のことを表面的にしか見ていないからじゃないか。(ここでは僕はナオ太に感情移入している)
彼女たちがそれぞれの本命について考えたり、それに対して行動を起こしているときにこそ魅力が立ち現れるのではないか。
 
つまり、誰かを魅了したければ、自分自身は別のなにかに心奪われていなければならないんじゃないのか。
ただ、漫然と身体的(性的と言ってもいい、それは魅力を構成する大きなパーツではあるが。)な魅力のみで少年を魅了することは、なんといえばいいか、それ自体に魅力がない。エロ漫画ならそれでいいんだろうけど。そのためのものだし。
 
そして、ここから一般的によく言われるある文言が導かれることに気がついた。
「なにかに熱中している人間はそれだけで魅力的だ。」
 
つまり、モテたければ(誰かに自分を見てほしければ)なにかに心奪われ夢中になってないといけないってことだ。
今回の話の着地点はつまらないところに落ち着いた。別の着地点も模索したい。
 
 
 
 
 
 
 

タバコを吸う女の子が好き

タバコを吸う女の子が好きだ。2次元3次元問わず。
退廃的な感じがして好きだ。未成年だとなおいい。制服にタバコ。実に背徳的。
最近フリクリを見たけど、あれに出てくるサメジママミ実はとてもよかった。Never Knows Best.
 
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大きな駅の喫煙所に行くと、たくさんの喫煙者がいる。
その中に若い女の人がいて、暇な時なんかそういう人をじっと観察することがある。
みんな派手な格好をしている。地味な格好の人はついぞ見たことがない。
細いタバコを吸っていることが多い(銘柄はあんまり詳しくない)。きれいな長い爪に細い指に細いタバコ。
観察しながら、「この人はなぜタバコを吸うようになったんだろう」と考える。
僕はそれを想像する。その人が初めてタバコを口にしたときのことを考える。まあ、大抵は彼氏とか男の影響なんだろうけど。
でもその男がいなければ彼女はタバコを吸うことはなかったのか?
いや、結局は吸っていたに違いない。なぜならそんな男の周りにいる人間はタバコを吸っているからだ。
ようは彼女はタバコから逃げられなかったのだ。
 
すると、今度は彼女がタバコをやめることを考え始める。
これは吸い始めるより容易だろう。彼女には潜在的に「やめる」という選択肢が与えられている。これは始めるときにはなかったものだ。
 
そのきっかけにこそ物語があるのだろう。と思う。
機会があれば聞いてみたいけどそんな知り合いはいまのところいないしできる予定もなし。
 
 

ドラクエの転職はおかしい と思ったけど、、

ドラクエに限らず転職というシステムがあるゲームがある。
RPGなんかで、これまでのジョブ(職業)を変更できるというものである。
例えば、レベル1から戦士をやってきた筋骨隆々のマッチョな男戦士が、いきなりローブを羽織った老魔法使いになるといったことがある。
 
ドラクエ3初プレイ時(小学生のときだった)には、とくに違和感もなく、
 
「魔法も使える戦士できるやん!やった!」
 
とか思っていたと思う。これが製作者の意図であろう。小学生は単純なのだ。
 
しかし、いま十数年時が経って思うのは、そんな簡単に転職できるんか。ということである。
通常、未経験の業界(戦士 -> 魔法使い)に転職するには、20代の若者か経験者という条件が必要になってくると思う。
しかし、レベル20の戦士(ドラクエ3では転職はレベル20からである。)というのは、パーティ的には戦力の中心であり、一般企業では8~10年目の中堅どころといったところであろう。年齢にして30代に差し掛かったところか。
そんな人間が、「俺、魔法使いになるわ」といってすんなり転職できるだろうか。
 
まず、パーティメンバーに反対されるかもしれない。
 
勇者「今君に抜けられると困る。君以外にキラーエイプの攻撃を受けきれる人間はいないんだよ」
盗賊(女)「そうよ、勇者だけじゃ前衛が不安だわ!」
僧侶(男)「いまから他業種はヤバイって。適正なかったらどうすんの?自分の年令(レベル)考えようよ」
 
次に、戦士はまごうことなき未経験者である。マジックポイント(MP)が0だ。この時点で適正はゼロに等しい。
 
「なるほど、魔法使いをご希望されるわけですね。前職ではなにをされていました?」
「レベル1から戦士をやっておりました。体力には自信があります!」
「でもこの仕事体力は必要ないんだよねえ、、、なにか魔法つかえる?」
「いえ、一切つかえないです。。。」
 
しかし、それでも彼は魔法使いに転職する。
もちろん、レベルは1に戻るし魔法も使えないパーティのお荷物になるわけだ。
最初は転職した彼も不安だろう。今までの武具は装備できなくなるし魔法も使えない。慣れない杖装備に戸惑う。自分には魔法の素質がないかもしれないと毎晩悩み、枕を濡らすかもしれない。
しかし、メンバーのサポートによって、めきめき成長し魔法も覚えただの魔法使いでなく、前職での培った体力を持った高付加価値の魔法使い人材となるわけだ。
そうなれば、当然パーティを抜け、もっと実入りの良いパーティを探すということも考えるであろう。(我々の世界で言う転職だ)
しかし、彼はそれをしない。いままでのパーティで魔王を倒す最後まで結果を出し続けるだろう。
なぜなら、彼はその環境で正当な評価と、報酬を受けているからだ。
 
ゲームの中では淡々と進められる転職だけど、きっと上のような苦悩と葛藤があるはずだと思う。
そして、勇者パーティはきっと素晴らしいベンチャー企業みたいなもんなんだろう。ベンチャー企業のことはよく知らないけれど。僕の勝手なイメージである。
 
 
でも、プレイヤーの一存ですぐメンバー入れ替えたりできるんだけどね。
そしてこんな話は誰かとっくに考えてそう。

アラド戦記の思い出

むかしむかし、10年前くらい前のこと、アラド戦記というネットゲームがあった。(今もある。12周年だって!)
当時中学生だった私は、友達のたかし君(仮名)に「これおもしろいで」と誘われて始めたのだった。
ちょうど土曜日の昼だったと記憶している。今も思い出せる。よく晴れた気持ちのいい気候だった。多分春ごろだと思う。
当時、私の家のパソコンはリビングに一台あるだけで、大して使われていなかったし性能もよくなかった。
恐る恐るゲームのexeファイルをインストールした。
キャラ(鬼剣士、当時は鬼剣士、ガンナー、格闘家だけだった)を作成し、すぐにたかし君をフレンドに入れた。たかし君はレベルカンストしていた。
 
たかし君はアラド戦記に課金しまくっていた。
今でこそFGOなどのソシャゲが趨勢を占めており、インターネットのゲームに課金するということはめずらしくもなくなってしまったが、当時はまだそうではなかったように思う。
パソコンいじってる奴はオタクだったし、オタクは当然のように迫害された。中学生は残酷だ。(今はそんなことないのかな)
始めた当初はアバターとかいったガチャ的なものはなくて、ゲームを有利に進めるためのアイテムを現実のお金で買うといったシステムだった。
 
レベルを上げて、強い武器を手に入れて、ダンジョンを攻略する。この一連の流れがおもしろくてたまらなかった。毎日毎日やった。たまにできない日があると、アラド戦記のことばかり考えていた。完全に中毒だった。
たかし君の他にもフレンドができて、パーティを組んでダンジョンを攻略するのも楽しかった。
結構いろんなことを話した気がする。ほとんどは深夜アニメのことだったと思うけど。
 
ハマりにハマって学校をサボって家でずっとゲームしてることもあった。親にバレて怒られるのが怖かったので数えるほどしかできなかったけど。
なけなしのお年玉を課金につかったこともあった。コンビニでwebmoneyを買ってきてそれで課金する。大人の階段を登った気がした。
 
中学校の記憶のうち5分の3くらいはアラド戦記で占められている気がする。
 
アラド戦記は中学を卒業するくらいまでやっていた。
あんなにハマっていたのに、やめるときは一瞬だった。
なんかの理由でパソコンが1週間くらい使えなかったのだ。それだけの理由でやめてしまった。あっけないものだ。
あれだけなにかにハマったことはあれ以来まだない。
当時の体験のせいか、自分はソシャゲにハマったことがない。あれははしかみたいなものだったのかもしれない。
 
 
なんで思い出したかっていうと、youtubeで当時のBGMを聞いていたからですね。
 
これを聞くと、実家のリビングでゲームしていたあのころを鮮明に思い出せる。
 
 
ところでハンゲームってまだあるんかいなと思って検索したらまだあって泣きそうになった。
ページを見ていたらスマートフォン用とかいう文言が出てきてどっひゃーってなった。時代の流れ!

「コンビニ人間」はうらやましい

(ネタバレあり)

 

 

コンビニ人間 (文春文庫)

コンビニ人間 (文春文庫)

 

 

どことなくタイトルに惹かれるものがあった。コンビニ人間、現代が生んだ悲しき社畜の姿だろうか。

手にとってあらすじを読んですぐに買ってその日のうちに読んでしまった。

 

読み終えたあと私が主人公に対して抱いた感情は「うらやましい」だった。ハッピーエンドだと思った。(あるいはメリーバッドエンド)

 

最後に彼女は自分がコンビニ店員という動物であり、そのために生きていると確信する。自分にはコンビニの声が聞こえる。自分の手はお客様にお釣りを渡すためのものであり、コンビニのために身体を整えないといけないと思う。

 

そんな彼女を羨ましいと思った。

そんな体験なかなかないよねと思った。宗教的だと思った。

自分は学校も仕事も全然好きじゃないので、そういう天啓みたいなものにちょっと憧れている。

確信をもって人生を生きられたら幸せだろうなと思う。

現実的には宗教の力に頼らないと無理かな。。

 

「最近」の感覚

 
2017年までは最近の感覚があるけど、それより前になるともうぱっと区別がつかなくなる。なにしてたかすっと思い出せない。
具体的には2012年と2010年とか。違い、ある?とか思っちゃう。
 
違いを思い描くには、その当時自分が何をしていたかを思い返すことになる。
まずは社会的な身分について思い起こす。2010年だから高校生だなとかいった具合に。
次にその当時の深夜アニメを思い返す。2010年はangelbeatsの放送年だった。あれおもしろかったナー、とか。
そこから芋づる式に当時の記憶が思い出されて、それでようやく2010年がしっかりとした形をもって立ち現れる。
最近のアニメあんまり見てないから、あと5年後に今のことどうやって思い出すんだろう。